日本のコメ問題 その1(残留農薬検査)

農業については,ガット原則に合致しない保護措置を,ガットが正当な保護手段として認める関税に代える,すなわち非関税措置の関税化が提案された。

このダンケル関税化案は,関税化後の関税引下げについて,米国の関税化案とくらべてはるかに寛大で,重い保護の継続を認めるものであった。

しかし,このダソケル案も日本が受け入れるところとはならなかった。

問題の所在が日本のコメ農家の保護にあったのではなく,農業団体の利権維持にあったからである。

民主主義の基本を無視した「1票の格差」は,農村票に異状な重みを与え,農業団体は議員の集票マシンの役割を果たしてきた。

代償として農業団体は,利権維持のために1942(昭和17)年以来の食管制度の維持を政治家に求め,改革案つぶしをさせてきた。

その結果,日本のコメ生産は世界から隔離されて急速に国際競争力を失っていき,農業をますます若者に魅力のないものにしていった。