高糖度系の三ヶ日みかんがブランドカをもちはじめたのは、1965年あたりからだが、その育成のために、本当に苦労してきたことがわかる。
「産地としての努力というのは、農協を中心にいろいろあるけど、自分がみかんの専業農家として負けたくない部分もある。
いろんな工夫を自分でやってるわけですよ」
たとえば、農薬の散布もその一つ。
20年ぐらい前は、共同防除といって、近隣農家が一緒になって、一斉に農薬を散布する形態を取っていた。
しかし、それは自然に淘汰されて、各農家の自主的な判断でやるように変化したのだという。
残留農薬検査