1732年、日本全国にウンカが大発生した。
このため日本中の水田がほぼ壊滅的な打撃を受け、百万人ともいわれる多数の餓死者が出た。
世に言う『享保の飢饅』である。
餓死者の霊をなぐさめるために、各地に地蔵尊や碑が建てられた。
福岡市の博多中洲の飢人地蔵や、佐賀県大和h町にある竜徳院の餓死塔などに、当時の惨状が刻まれている。
もちろん、ウンカの被害は、この時だけではない。
それ以前にも、またその後も、思い出したような異常発生、大発生が、数多く記録されている。
1940年、日本が侵略戦争を拡大し、国民の食糧確保が次第に困難になっていたころだが、やはりウンカが大発生した。